2025年11月時点で、封入体筋炎(IBM)に対して世界で承認された治療薬はまだありません。
日本ではミトコンドリア標的薬 MA-5 がミトコンドリア病を対象に第Ⅰ相〜第Ⅱ相へ進んでおり、封入体筋炎では「細胞レベルの有望な候補」という段階です。海外では ABC008・シロリムス・ルキソリチニブ などの第2/3相試験が進行中で、アリモクロモールやビマグルマブは大規模試験で有効性を示せず撤退気味、というのが現在の状況です。(PubMed)

封入体筋炎(IBM)とはどんな病気か
封入体筋炎(inclusion body myositis, IBM)は、主に中高年以降に発症する慢性進行性の筋疾患です。特徴は次のように整理できます。(Viamedica Journals)
- 太ももの前(大腿四頭筋)や、手指を曲げる筋肉(指屈筋)の筋力低下
- ゆっくりと進行し、歩行困難や転倒、手の巧緻動作の障害が目立つ
- 筋生検では
- CD8陽性T細胞による炎症
- 「リムドバキュオール」と呼ばれる空胞
- タンパク質の異常凝集とミトコンドリア機能異常
が混在する「炎症+変性」の病態
ステロイドや一般的な免疫抑制薬は十分な効果を示さず、世界的に「有効性がはっきりした薬がない」難治性疾患として位置づけられています。2025年のシステマティックレビューでも、複数の薬剤RCTをまとめて「多くのアウトカムで有効性は示されていない」と結論づけています。(PubMed)
日本で注目されるミトコンドリア標的薬 MA-5
MA-5とは何か
MA-5(Mitochonic acid-5) は、東北大学らのグループが開発しているミトコンドリア病治療薬候補です。ミトコンドリアの膜タンパク質に結合し、エネルギー産生(ATP)を支える働きが期待されています。(厚生労働省)
- ミトコンドリア病患者由来細胞やモデルマウスで
- ATP産生を増やす
- ミトコンドリア呼吸を改善
- 生存率を改善
すると報告されています。(厚生労働省)
もともとは「ミトコンドリア病」を標的として開発が進んでいますが、その過程で封入体筋炎との関連が見つかった、という流れです。
封入体筋炎の細胞で何が分かったか
2020年のPLOS ONE論文および東北大学のプレスリリースでは、封入体筋炎患者由来の筋芽細胞(筋前駆細胞)で顕著なミトコンドリア異常があることが示されました。(PLOS)
主なポイントは以下です。
- sIBM患者由来の筋芽細胞で
- ATP産生の低下
- ミトコンドリアのサイズ縮小
- ミトコンドリアダイナミクス(融合・分裂)の低下
- 酸化ストレスに対する脆弱性
- MA-5を添加すると
- 細胞内ATP量が増加
- ミトコンドリア由来のROS(活性酸素)が減少
- 細胞死が抑えられる
この結果から、
封入体筋炎の病態の一因としてミトコンドリア機能異常があり、MA-5が新たな治療薬候補になり得る
と結論づけられています。(PubMed)
現時点では「細胞レベルではかなり有望だが、ヒトでのIBM治験までは至っていない候補」という位置づけです。
MA-5の臨床試験(ヒト)の進行状況
第Ⅰ相試験:成人健常者
- 日本人健康成人男性56人を対象
- 目的:
- 安全性(副作用、忍容性)
- 薬物動態(吸収・血中濃度・代謝)
- 2022年1月開始としてAMED・東北大学から公表され、jRCTでも第Ⅰ相試験として登録済みです。(厚生労働省)
第Ⅱ相試験:ミトコンドリア病+難聴
2025年11月の自治医大およびAMEDの発表では、「難聴を有するミトコンドリア病患者」を対象にした医師主導第Ⅱ相試験を2025年12月から開始するとされています。(自治医科大学)
- 実施施設:
- 東北大学病院
- 順天堂大学医学部附属順天堂医院
- 国立病院機構 東京医療センター
- 自治医科大学附属病院
- 目的:
- ミトコンドリア病および難聴に対する有効性・安全性・薬物動態の評価
ここで重要なのは、**「対象疾患がミトコンドリア病であって、封入体筋炎は含まれていない」**という点です。公表・登録情報を見ても、IBM患者を対象にしたMA-5の臨床試験はまだ始まっていません。(厚生労働省)
海外で進む封入体筋炎治療薬の治験
海外治験の全体像
海外ではこの10〜15年ほどの間に、多数の薬剤がIBMで試されていますが、決定的な有効薬はまだありません。
- 2025年のシステマティックレビュー(RMD Open)では、
- 抗炎症薬・免疫抑制薬・生物学的製剤など複数のRCTを総括し、
- 「多くの主要アウトカムで薬物介入は有効性を示さなかった」
とまとめられています。(PubMed)
その一方で、新しい作用機序の薬剤を用いた国際共同試験が進行中で、ここ数年の結果が大きな転機になる可能性があります。
現在進行中の主な新規治験薬
ABC008(ulviprubart:Abcuro社)
ABC008(一般名候補:ulviprubart) は、KLRG1陽性CD8 T細胞などの「高度に細胞傷害性のT細胞」を選択的に枯渇させるモノクローナル抗体です。IBMで筋肉を攻撃しているT細胞をピンポイントに狙おうという発想です。(Abcuro)
- 試験名:MUSCLE試験(NCT05721573)
- デザイン:
- 第2/3相
- ランダム化・二重盲検・プラセボ対照・多施設国際試験
- 0.5 mg/kg と 2.0 mg/kg の2用量 vs プラセボ
- 投与期間 76週+安全性フォローアップ4週(ClinicalTrials)
- 目的:
- IBM Functional Rating Scale(IBM-FRS)などを用いて筋機能の進行をどこまで抑えられるかを評価
2024年時点で「登録完了(Enrollment completed)」が公表されており、結果待ちの段階です。(Abcuro)
シロリムス(sirolimus/rapamycin)
シロリムスは、腎移植後の拒絶反応抑制などに使われてきた mTOR阻害薬 で、
- 免疫調整
- オートファジー促進
- ミトコンドリア機能の調整
といった作用を通じてIBMにも応用が期待されています。(PubMed)
フランス単施設 第2b相(Rapami試験)
- 対象:IBM患者44人
- 用量:シロリムス 2 mg/日 vs プラセボ、1年間
- 結果:
- 主評価項目(膝伸展筋力)は有意差なし(主要エンドポイント陰性)
- しかし、
- 6分間歩行距離
- 呼吸機能
- 一部の筋MRI指標
では進行抑制を示唆するシグナルがあったと報告されています。(PubMed)
「劇的な改善」ではないものの、「進行をやや遅らせているかもしれない」という印象から、次の大規模試験につながりました。
国際第3相試験:Optimism in IBM
- 試験名:Optimism in inclusion body myositis(NCT04789070 / ACTRN12620001226998)
- デザイン:(PubMed)
- 第Ⅱb/Ⅲ相
- 二重盲検・ランダム化・プラセボ対照
- 患者140例
- シロリムス 2 mg/日 vs プラセボ
- 主要評価項目:IBM-FRSのベースラインから84週までの変化量
2025年時点では試験デザインが詳細に報告されており、結果の公表はこれからという段階です。(PubMed)
ルキソリチニブ(ruxolitinib:JAK1/2阻害薬)
ルキソリチニブは、もともと骨髄線維症などで用いられている JAK1/2阻害薬 で、IFN-γを含むサイトカインシグナルを抑えることで自己免疫的な炎症を抑制します。IBMでも、インターフェロン関連のシグナルが病態に関わることが示唆されており、そこを標的にする狙いです。(ClinicalTrials)
- 試験名の一例:
- Ruxolitinib Treatment in Inclusion Body Myositis(NCT06536166)
- デザイン:(ClinicalTrials)
- 第IIb/III相相当
- ランダム化・二重盲検・プラセボ対照・多施設
- 約1年間の治療で、歩行能力やIBM-FRSの変化を評価
- 状況:
- 2025年秋の時点で「recruiting(被験者募集中)」のステータス
こちらも現時点で有効性の結果はまだ公表されていません。
すでに結果が出た主な薬剤とその評価
アリモクロモール(arimoclomol:HSP誘導薬)
アリモクロモールは、細胞の「熱ショック応答(Heat Shock Protein, HSP)」を増強し、異常タンパク質の折りたたみや分解を助ける薬です。IBMでは異常なタンパク質蓄積が問題になるため、理論的には有望と考えられていました。(Cure IBM)
- パイロット試験(第2a相)では安全性良好で「効きそう」という傾向もありましたが、(Cure IBM)
- 150人規模の多施設第2/3相試験では、
- 主要評価項目・副次評価項目ともにプラセボに対する有意な優越性が得られず、
- 2023年のLancet Neurology論文で「有効性は示されなかった」と報告されています。(ランセット)
この結果を受けて、IBMに対するアリモクロモール開発は事実上ストップしたとみられています。
ビマグルマブ(bimagrumab:抗ActRIIA/IIB抗体)
ビマグルマブは、ミオスタチンなどに関連する activin receptor II A/B(ActRIIA/IIB) をブロックし、筋量を増やす目的のモノクローナル抗体です。(PubMed)
- 多施設第2b相試験 RESILIENT試験(Lancet Neurology 2019)では、
- 太もも筋量は増えたものの、
- 主要評価項目である6分間歩行距離(6MWD)はプラセボ群に対して有意な改善を示さず、
- 「安全性は良好だが有効性は確認できない」と結論づけられました。(PubMed)
その後、ビマグルマブは肥満や2型糖尿病領域に開発の軸足を移し、IBM向け開発は終了しています。(ウィキペディア)
従来の免疫抑制薬・IVIGなど
ステロイド、メトトレキサート、アザチオプリン、IVIG、その他の免疫抑制薬・生物学的製剤もIBMで多数試されてきましたが、
- ランダム化比較試験を統合したシステマティックレビューでは、
- 「多くのアウトカムで明確な有効性は示されていない」
- 「試験ごとに評価指標がバラバラで、結果の一貫性も乏しい」
とされています。(PubMed)
そのため、**現状の標準的な位置づけは「薬物で病気の進行を止めることは難しく、支持療法(リハビリ・運動・栄養管理など)が治療の中心」**という形になっています。
これから数年で見えてきそうなこと
現時点の整理をまとめると、次のようになります。
- MA-5
- 封入体筋炎の筋細胞レベルでは、ATP増加・ROS減少・細胞保護作用が確認されている
- ヒトでは「ミトコンドリア病」を対象に第Ⅰ相(健常者)→第Ⅱ相(難聴を伴うミトコンドリア病)へ進行中
- IBM患者を直接対象にした臨床試験はまだ公表されていない(厚生労働省)
- 海外の新規治験薬
- ABC008(T細胞標的抗体)、シロリムス(mTOR阻害)、ルキソリチニブ(JAK阻害)など、
- 病態の「炎症」「変性」「ミトコンドリア機能」「シグナル伝達」それぞれを狙う複数の戦略が第2/3相で進行中
- アリモクロモール、ビマグルマブなどは大規模試験で有効性を示せず撤退
- ABC008(T細胞標的抗体)、シロリムス(mTOR阻害)、ルキソリチニブ(JAK阻害)など、
- 総合的には
- 世界的にも「決定打となる薬」はまだない
- しかし、病態理解が深まり、より標的を絞った薬剤(ABC008・シロリムス・ルキソリチニブなど)が本格的な検証段階に入った
したがって、2020年代後半〜2030年代前半にかけて出てくる試験結果が、封入体筋炎治療の方向性を大きく左右する可能性が高い、というのが現状の見通しです。


